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Vol.2 対談:荒木一三(テクニシャン)  1/3
後藤  今回はですね、このHPにも度々名前の出てきている荒木さんを紹介します。

左:エンジニアの中澤 智さん / 右:荒木 一三さん

荒木  荒木 一三と申します。
後藤  「誰?荒木さんって!」という話からしていきたいと思うのですが。まず、荒木さんと出会ったのは吉川晃司くんとの仕事の頃だから何年前だろう?
荒木  13年前くらいですかね?
後藤  あー、そんな前か。「Virgin Moon」のアルバムの頃だね。90年の暮れから91年くらいだ。ツアーが確か91年だったから。
荒木  そうですね。
後藤  となると、もう干支も一周・・・それ以上か。早いねぇ。それから顔は知ってたんだけど、僕の楽器を見てもらうようになったのはいつだっけ?
荒木  たしか野猿の2枚目のシングルですね。
後藤  そうだ。野猿の「叫び」の頃からだね。晃司のレコーディングで荒木さんと再会して。98年。
荒木  そうです、そうです。
後藤  今回HPにこの対談と一緒に荒木さんの写真も載ると思うんだけど・・・荒木さん若く見えるけど、そんなに僕と歳の差無いんだよね?
荒木  無いですねぇ。
後藤  別に隠してるんでもないよね?
荒木  (笑)隠してないです。自慢でもないです。


後藤 荒木さんの職業ってのは、楽器やってる人にもなかなか伝わりにくい。説明しにくいところがあると思うんだけど。もし一言で、たとえば職業欄とかには何て書くの?
荒木 海外で一般的になっているのは "テクニシャン" っていう呼び方ですね。楽器に関わる、音とかハードの部分のメンテナンスをする仕事です。
後藤 もともとはギタリストだったんでしょ?
荒木 ギタリストではないんです。
後藤 本当に?
荒木 はい。僕もやっぱ70年代のハードロック、ディープパープルとかが好きで、憧れて楽器欲しくなったんですよ。で、楽器が安く手に入るという安易な考えで楽器メーカーでアルバイトを始めたんです。
後藤 それは大阪時代?
荒木 そうです。まだ学生の頃ですね。フェルナンデスだったんですけれども、会社も東京本社で大阪には出てきたばかりの頃で。
後藤 それでそのまま就職したの?
荒木 そうですね。車の免許が取れたらということだったので、すぐ取りました。
後藤 フェルナンデスって言ってもいろんな仕事があると思うんだけど、すぐ楽器修理みたいな仕事に就けたの?
荒木 当時は楽器が凄く売れていた頃だったんですけれども、ちょっとしたアクシデントでの修理とかでもみんなメーカーの工場に送っていたので。その場で修理してっていうのがまだ無かったんですよ。でも僕は昔からプラモデルとか時計とかを作ったり、壊したり、直したりするのが好きだったので「楽器くらいなら直せるだろう」というまた安易な発想で直したりしてて。そうしてるうちに海の向こうから "リペア" という言葉が入ってきて、その肩書きのもと修理だとか、部品交換とかしてました。
後藤 僕もその頃、道玄坂のYAMAHAにそういったリペアルームがあってそこに出してたね。
荒木 それは70年代終わり・・・77年くらいですかね。
後藤 渋谷にあったESPにもそういうとこがあって、僕のプレシジョンを初めに塗り替えたのがESP。
荒木 あー、なるほど。
後藤 そのまま、その流れで今の職業になったのですか?
荒木 営業の会社だったんで、楽器を売る・・・だから一番初めは商品管理で品物を発送したりしていて。営業もまわってました。でもだんだんリペアの方が忙しくなっていって翌年には東京に行ってました。その頃からまだアイドル時代のCharとかと付き合うようになって、彼の楽器とかも見るようになったんです。それでソロの2枚目やった辺りでCharと一緒にESPに引き抜かれたんです。ESPでも同じことしたり、あとギターも1から作っている会社なんで工場の管理とか、輸出とかもやりました。ESPのショップで働いてたこともありますよ。
後藤 店員やってたってこと?
荒木 そうです。レジ打って。ESPでは本当いろんなことやりましたね。


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